広島地検検察官公務災害に思うこと
はじめに
という記事が報道されている。
これによると、令和元年12月に自殺した広島地検検察官(当時29歳)について、公務災害の認定を申請する手続が行われたということである。公務災害というのは、公務員の労災のことである。
実はこの事件については、別に、令和3年1月6日付で、東洋経済オンラインにおいて
という記事があり、こちらに詳細が掲載されている。
本稿では、司法修習生時代の思い出や、現在、当職が福岡で刑事弁護人を務めるにあたり、相手方当事者として対峙することとなる検察官から受ける印象などから、検察官の労働環境について、思うところを述べていきたい。
なお、当職は弁護士であるので、現在の検察庁内部の状態を正確に把握しているわけではない。また、個別の案件に関してコメントするものではなく、また特定の検察官について言及する意図はない。あくまで一般論的な指摘に留まることをあらかじめ明記しておきたい。
検察官業務固有の事情
まず、29歳という年齢は、司法試験合格者の平均年齢と概ね同じであり、記事によるとこの検察官は、新任明けといって、最初に東京や大阪などの大規模庁で一般的な訓練(医者で言うと研修医のようなものである)を受けた後に、広島地検に配属されたようである。
ここで、小説の「赤かぶ検事」のように、支部の検察官や地方都市の検察官は、取調べなどの捜査を担当した検察官が、そのまま裁判も担当するというのが通常である。これに対して、都市部の検察官は、捜査を担当する部署と、裁判を担当する部署が分かれており、今回の検察官は、そのうち、広島地検の公判部、つまり裁判を専門に行う部署に配属されていたとのことである。
どちらの態勢が好ましいのかは、一概には言えない。捜査と裁判で異なる検察官が担当することにより、異なる視点からの検討がなされるというメリットはあると思われる。
しかし、私の弁護人としての経験からすると、捜査担当の検察官が、言い方は悪いが「あとは野となれ山となれ」と言わんばかりに、少々、無理筋な事件を起訴してしまい、公判部の検察官が苦労する、という場面は時折目にする(そう思っているだけかもしれないが)。
そもそも、「疑わしきは被告人の利益」という大原則がある以上、検察官は有罪を完璧に立証する責任がある。弁護人として事件に臨む場合、本人と話した上で訴訟記録を丁寧に検討し、犯罪事実に争いがなく、証拠にも特に問題がない場合には、情状に関する立証に絞って検討を行うというのが通常である。ただ、検察官は、捜査段階で認めている事件でも、公判で否認に転じる可能性を常に意識して、その場合でも完璧な立証を心がけなければならない。捜査段階で認めているので、不十分な捜査しかされていなかったような場合には、自ら補充捜査を指揮する必要も出てくる。このように、公判部の検察官というのは、1箇所でも失敗が許されない、実に大変で、神経を使う仕事であるように思う。
法改正により検察官の業務量は増加し、業務内容は複雑化している
また、公判部の検察官の負担を増加させる要因は、手続にもあると思われる。
ひとつは、平成21年から始まった裁判員裁判である。裁判員裁判になった場合、裁判が連日行われることになるので、圧倒的に準備が大変である。また、裁判員が法廷で一度聞いて理解できるように、説明資料を作らなければならない。通常の裁判であれば、Wordや一太郎で文書を作っておけば、後で裁判官がじっくり読んでくれる一方、裁判員裁判では、裁判員が後からじっくり読んでくれることに期待できないので、一発でわかるようなスライドなどのプレゼン資料にまとめる必要がある。
あくまで私の主観であるが、検察官は裁判員向けの資料作成を苦手にしているように思う。実際、裁判官から、わかりにくいのでもう少し整理するようにとダメ出しを食らうとか、裁判員が今にも寝そうにしているとか、傍聴席で私が聞いていても理解不能だとか言うことは珍しくない。
もうひとつに、公判前整理手続がある。これは、裁判員裁判の導入前である平成17年に始まったもので、裁判をするに先だって、争点や証拠の整理を行うことを目的としたものである。公判前整理手続は、裁判員裁判では必須であるほか、近時では、否認事件の審理などで活用されるようになっている。
公判前整理手続が行われると、検察官は弁護人に対する証拠開示に対応したり、その他色々と書類を作成したりと、仕事が増えるのは間違いない。そして、最近の刑事弁護では、証拠開示を活用すべしとの観点から、否認事件の場合、原則として公判前整理手続を行うように裁判所に求めることを推奨する向きもあるから、必然的に検察官の負担は増えることとなる。
また、事件の質に関しても、最近は、振り込め詐欺やサイバー犯罪など、専門的な知識を要する複雑な事件も増えている。また、単純な事件でも、LINEの履歴など、膨大な証拠が収集されることが増えており、訴訟記録が膨大になりやすい環境にある。
検察官の人員は業務負担増加に見合っていない
しかしながら、そうした検察官全体の業務量の増加に対して、検察官の人員拡充が十分に行われているかというと、どうもそうではないようである。
公判前整理手続が始まった平成17年における検察官(副検事は含まない。以下同じ)の人数は1,627人、裁判員裁判が始まった平成21年における検察官の人数は1,779人、令和元年の検察官の人数は1,976人と、徐々に人数は増加しているものの、上で述べた業務量の増加に対応しているとは考えがたいところである。同じ時期の弁護士の人数が、平成17年に21,885人、平成21年に26,930人、令和元年に41,118人とほぼ倍増していることと比較しても、このことは明らかであろう。
また、平成17年には13.8%であった女性検察官の割合が、令和元年には25.0%とほぼ倍増している。我が国の現状では、出産や育児に際して休暇を取得するのは圧倒的に女性であるから、実際のところ、検察官全体の人数が増加しても、実働している人員はほとんど変わらないか、むしろ減っているのではないかとも思われるところである。
長時間労働がもたらす弊害
報道では、上司にあたる次席検事からの叱責がパワハラに該当し、これが直接的な原因であるかのように書かれているものがあるが、私はパワハラよりも業務過多が主たる原因ではないかと疑っている。というのも、検察というのは体育会系な組織であり、多かれ少なかれそういった扱いを受けることがあり得るというのは、司法修習生時代からよく分かっていることで、ある種、それを承知で志願している人が多いように思われるからである。部長検事と次席検事で言うことが全然違う等というのは、私の修習生時代の思い出をたどれば別に珍しくないし、出来の悪い書面についてかなり厳しく指導されるというのはよくある光景である。当該上司の個人的な問題と言うよりも、業務量の増加や業務内容の複雑化に対して十分な人員の補充がなされずに、ここの検察官が過重労働に陥っているという組織的問題こそピックアップされてしかるべきではなかろうか。
実際、今回の事案でも、過労死ラインを超える時間外労働がなされていたようであるし、いわゆるサービス残業も、霞が関の役人も普通にやっているくらいであるから、実際のところは相当程度行われていたのではないかと推察されるところである。
実のところ、福岡地検の建物をみると、遅い時間でも煌々と明かりがついているというのは稀ではないし、それは土日でもしばしば見られる光景である。また、検察官が当初予定していた証拠開示や追起訴について、間に合わずに公判が遅延するということも特に最近、散見される。
検察官の失敗で被告人が無罪になることは、制度が想定している範囲内のことであり、それ自体が正義に反するものではない。しかしながら、過労で満身創痍の相手に勝利しても寝覚めの良いものではないし、検察官の過重労働によるミスで適正な刑罰権の行使がされない事態が続発するということになれば、我が国の治安維持に関わる事態である。法務省・検察庁は、検察官の採用人数を増やす、業務の割り振りに関するルールを見直すなどして、まずは個々の検察官の業務過多を解消することから初めてはいかがだろうか。
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