一部執行猶予
執行猶予とは、有罪判決の場合に、判決を直ちに執行することなく、しばらく様子を見ることを言う。簡単に言えば、今すぐ刑務所というわけではなくて、しばらくの間、社会の中できちんとやっていけるかどうか様子を見て、大丈夫そうならそのまま社会で暮らしてください、というものである。法律上は、罰金にも執行猶予は可能であるが、実際に使われることは稀である。
さて、平成28年6月1日から、刑の一部執行猶予と呼ばれる制度が始まった。これは「一部」というだけあって、執行猶予のミニチュア版みたいに思われがちである。しかし実際には似て非なるものであり、また多くの問題をはらんでいる。
一部執行猶予を理解しやすいように、具体的な例で見てみよう。「被告人を懲役3年に処する。その刑のうち1年について、5年間執行を猶予する」という判決を受けた場合、これが確定したときに被告人はどうなるのか。
懲役3年の有罪判決であるものの、そのうち1年は執行が猶予されるため、3年から1年を除いた2年間は実刑であり、刑務所に行く必要がある。刑務所で2年間服役すると、一旦釈放され、そこから5年間は執行猶予ということで様子見となる。5年間のうちに何も問題がなければ、残りの1年は服役しなくてもよいということになる。ちなみに、法律上、この執行猶予の期間には、保護観察を付けることができるとされており、多くの場合は保護観察に付されているようである。
つまり、当たり前と言えば当たり前であるが、一部執行猶予というのはあくまで服役することが前提であり、出所の時期を裁判所があらかじめ定めると言った意味合いに過ぎないのである。この意味で、社会における更生可能性を探るという全部執行猶予の本来の意味合いとは異なっている。
このことは、一部執行猶予制度がなぜ作られたか、ということとも関係している。平成10年代には、刑務所の定員が100%を超える状況が続いており、人手不足が深刻化していた。このため、刑務所収監者を減らすための方策として、フランスの制度を参考に用いられたわけである。つまり、成り立ち自体が、妥協の産物というか、政治的な配慮に基づくものなので、理論的に洗練されたものではないのである。
このため、一部執行猶予を巡っては、いくつか問題がある。
ひとつは、一部執行猶予となることが、被告人にとって本当に利益になるのか、ということである。
例えば、先ほどの「被告人を懲役3年に処する。その刑のうち1年について、5年間執行を猶予する」という判決の場合、被告人は2年間服役し、その後5年間は執行猶予であり、多くの場合は保護観察に付されるから、被告人は7年間、この事件とお付き合いをしなければならなくなる。保護観察になった場合、非行少年などと同様に、定期的に保護司との面談などをしなければならないので、面倒に感じる人も多いようである。仮に全部実刑であれば。3年間服役すれば満期出所になるので、長い目で言えば早く終えられるという考え方もあり得る。どちらが不利益なのかは、被告人の感じ方にもよるようであるものの、一概に服役期間が短ければよいというものでもないようである。
もうひとつは、どういう場合に一部執行猶予が選択されるのか、弁護士も予測がつかないし、裁判官も明確な基準を持っていないのではないかと思われることである。
一部執行猶予の要件は、全部執行猶予の場合と同様で、これに、前刑の執行猶予中の者が加えられている。全部執行猶予になる要件を満たしている人を、あえて一部執行猶予にするくらいなら、全部実刑にして刑期を短くすれば十分であるように思われるし、前刑の執行猶予中に再犯をした者は、ほとんどが実刑になるので、一部執行猶予を相当するような事案はほとんどないように思われる。
実際には、一部執行猶予については、「薬物使用等の罪を犯した者に対する刑の一部の執行猶予に関する法律」という法律が特例を定めており、実務上、一部執行猶予になるのはほとんどがこの法律が適用される事例である。この法律は、覚せい剤取締法などの一定の薬物犯罪を犯した者については、刑法上の一部執行猶予の要件を満たしていなくても、「刑事施設における処遇に引き続き社会内において規制薬物等に対する依存の改善に資する処遇を実施すること」が必要かつ相当である場合には、一部執行猶予とするというものである。
しかし、この特例は、具体的にどういう事案について一部執行猶予にするべきであるのかという点について、極めて曖昧な要件しか定めていないため、一部執行猶予になる場合とならない場合とを振り分ける基準が皆目、不明であるというのが正直なところである。裁判官によるばらつきが大きく、めったに一部執行猶予にしない裁判官もいれば、これを頻発する裁判官もいるという印象である。弁護人としても、要件を満たしていれば、とりあえず一部執行猶予が相当である旨の弁論をせざるを得ないため、事態はより混沌としている。
被告人にとって本当に利益になるのか分からない上に、基準も曖昧で理論的にも練られていないのが、今の一部執行猶予の実態である。早期に再考の機会が持たれてしかるべきであろう。
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