伝聞証拠 ~伝聞証拠禁止の法則と反対尋問権~
百聞は一見にしかずということわざがある。他人から伝え聞くよりも、自分で直接、見た方が遙かに真実に迫ることができるという意味である。
確かに、又聞きというのは誤解を生じやすい。例えば友人Aから、「友人Bが私の悪口を言っている」などと言われても、実際に友人Bに確かめてみると、全然違うつもりで発言したことが、いつの間にか悪口だということにされていた、といった類いの体験は、誰でも一度は経験したことがあるのではないだろうか。最近は、SNS経由で不確実な情報が広く拡散されているので、そうした伝言ゲームの構造に注意すべきは当然である。
さて、悪口を言ったとか言わないとか言うレベルであれば、後から事実関係が明らかになったところで対処すればよい。しかし、これが刑事事件だと一大事である。不確かな情報を根拠に、人を処罰することがあってはならないわけである。
このような観点から、憲法は、被告人に反対尋問権を保障している(憲法37条2項)。つまり、誰かが何かを言っている、という証拠(供述証拠という)については、原則として反対尋問を行い、間違いがないかをチェックする機会を与えなければならない、ということである。
反対尋問というと、後にアメリカの大統領になる、アブラハム・リンカーンの若き日の逸話が有名である。リンカーンは、ある殺人事件の裁判で、証人が殺人の現場を目撃した、と証言したのに対して、現場には明かりがなかったはずなのに、どうやって現場が見えたのかなどと尋ね、月明かりで見えたという証言を引き出した上で、暦を取り出し、月の出の時刻という客観的な事実と矛盾することを示した。これによって、証人がウソをついていることを看破したわけである。もし、この証人が、殺人の現場を見たとだけ証言し、そのまま言いっ放しの状態であれば、被告人は有罪とされていたであろう。
さて、この、反対尋問権の保障という観点から、刑事訴訟法は「伝聞証拠禁止の法則」という原則を採用している(刑訴法320条)。これは文字通り、伝聞、すなわち又聞きの証拠は、刑事裁判の証拠とすることはできない、というものであり、例えば証人Xが、「証人Yは『被告人がZを殴っているのを見ました』と言っていました」と証言したところで、被告人がZを殴っていたことの証拠とすることはできないというものである。それは、証人Yが犯行を目撃した状況とか、YとZの関係性などについて、Yから直接、話を聞く機会というものを与えなければならない、すなわち、Yの反対尋問を行う機会を保障しなければならないからである。
また、刑事裁判では、多くの場合、警察官や検察官が供述調書を作成する。これは、捜査官が被告人や目撃者などから話を聞き取り、聞き取った内容を文章にまとめたものであるので、これを見ただけでは言いっ放しの状態である。やはり、調書の内容について、反対尋問を行う機会を与えなければならないわけである。
また、反対尋問権の保障以外にも、書面や又聞きを証拠とするより、法廷で直接、証人の言葉をきいたほうがわかりやすく、間違いが少ないということも、伝聞証拠禁止の原則の持つ重要な意味である。まさに「百聞は一見にしかず」であり、直接主義と呼んでいる。裁判員裁判などでは、反対尋問を行う必要が特になくても、裁判員への理解のしやすさという観点から、あえて証人尋問を行うような場合もあり、これは直接主義を重視した結果である。
かつて、我が国で戦犯と呼ばれる人たちを裁いた「東京裁判」という裁判が開かれたことがある。この裁判では、多くの伝聞証拠が採用され、伝聞証拠に基づいて有罪判決が多数、下されたと言われている。唯一、全員無罪の意見を述べたインドのラダ・ビノード・パール判事は、このことを厳しく指摘していた。
ネットの普及により、自分の目で見て、耳で聞く、という体験が失われつつあることは否定できない。また、情報源について深く考えることがないまま、いい加減な情報を安易に拡散してしまうことでトラブルに発展することもしばしばである。もちろん、多くの情報に触れる機会があるというのはよいことである。ただ、そのことと引き換えに、何が本物であるかが見えにくくなっている、このことは十分、意識しておく必要がある。

その他のコラム
最決令和6年10月16日令和6年(許)5号 取調べ録画媒体と文書提出命令
はじめに 本件は、検察官による取調べの録音録画記録媒体が法律関係文書に該当するとして文書提出命令の申立てがされた場合に、刑訴法47条に基づきその提出を拒否した国の判断が、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとされた事例である 事案の概要 本件の基本事件は、刑事事件で無罪となったXが、国(Y)に対して、国家賠償法に基づく損害賠償を請求する事案である。 不動産会社を経営するXは、学...
制度の不備にとどめの一撃を与えた経産省官僚による給付金詐欺
はじめに 持続化給付金の不正受給による詐欺事件が、全国的に大きな問題となっていることは、当事務所のコラムで繰り返し掲載してきた。 続報 持続化給付金詐欺 の判決まとめ2 20210616 持続化給付金の不正受給(詐欺)について そのような中、同種の家賃支援給付金を不正に受給したとして、現職の経済産業省の官僚2名が逮捕されたという衝撃的なニュースが飛び込んできた。本稿では、この事件に関して考察すると共...
B型肝炎弁護団横領事件の続報 【予告するのはホームランだけにしてくれ】
はじめに 以前に紹介した B型肝炎訴訟熊本弁護団における横領事件について現時点で分かっていることをまとめてみた(2024/1/16 19:30更新) これについての解説動画はこちら 【圧倒的独裁】B型肝炎訴訟熊本弁護団で発生した横領疑惑について思うこと【絶対的権力は絶対に腐敗する】 に関連して、とんでもない続報が入ってきた。 令和6年1月30日付熊本日日新聞の報道によると、熊本県弁護...
【衝撃】裁判官インサイダー疑惑【それはバレるだろう】
金融庁に出向中の裁判官がインサイダー取引を行っていたという疑惑が浮上した。 インサイダー取引の規制に関する証券取引等監視委員会の異常なまでの自信や、弁護士業界におけるインサイダー規制などについて、元監査法人勤務のうぷ主が解説する。 業務で知った企業の内部情報をもとに株取引をした疑いがあるとして、金融庁に出向中の裁判官が、証券取引等監視委員...
共犯者同士の弁護人 「真に恐るべきは、有能な敵ではなく、無能な味方である」
「真に恐るべきは、有能な敵ではなく、無能な味方である」とはナポレオンの格言とされる。味方にこそ要注意ということだ。 これは刑事事件においても変わらない。 例えば、ある事件について共犯者AとBが起訴されているとする。AとBが同じ弁護士に依頼してきた場合、(1)依頼を受けてもよいか、(2)依頼を受けるべきかというテーマがある。 (1)については、「一律に禁止されていない」というのが一応の回答である。このため、特に...





