控訴審 新井浩文さんの事例をもとに考える
はじめに
俳優の新井浩文こと朴慶培さんについて、東京高裁は令和2年11月17日、懲役5年の実刑とした第一審判決を破棄し、懲役4年の実刑判決を言い渡した。今回は、刑事控訴審の構造や、本判決に関する検討を行うこととしたい。
控訴審の構造
日本では、3回、裁判が受けられるということは、小学校の社会科の授業などでも習うので、広く一般に知られている。しかし、ボクシングの試合などとは異なり、裁判の第一ラウンドから第三ラウンドまでは、ずいぶんやることが異なっている。
刑事の第一審判決に対しては、高等裁判所に控訴ができる。しかし、控訴審では、裁判の手続を一からやり直すわけではない。あくまで、第一審判決の訴訟記録を検討して、問題点がないかをチェックする、というのが控訴審の役割である。これを「事後審」と呼んでいる。
このため、控訴審になって、第一審の段階で行っていなかった主張を新たに追加したり、新たな証拠を提出したりすることは、通常は予定されていない。主張したい内容や出しておきたい証拠があれば、第一審判決の段階でやっておきなさい、というのが基本のスタンスである。もっとも、第一審ではどうしても証拠調べができなかったとか、第一審の弁護活動に問題があり、どうしても控訴審で挽回しなければならないという場合には、積極的な立証活動を行うこともあるし、第一審判決が死刑判決の場合には、慎重を期するという意味で、控訴審で改めて証拠調べをする、ということも行われており、ケースバイケースである。
一項破棄と二項破棄
このように、控訴審は、第一審判決に誤りがないかどうかをチェックする機能を担っているというのが大原則であり、建前である。もっとも、これには例外があり、第一審判決後に量刑に影響を与えるような事情の変化があった場合には、裁判所の裁量で、そのような事情の変化についても証拠調べを行うことができる。その結果、第一審判決自体は間違っていないけれども、第一審判決後に生じた事情を考慮すれば、量刑が不当であると思われるような場合には、第一審判決を破棄することができるとされている。
わかりやすい例で言うと、第一審判決のあとに被害者と示談が成立した場合などが典型例である。他にも、最近は、薬物事犯や知的障害者の窃盗事件などで、第一審判決の後に、福祉の援助を受けることとして地域生活定着支援センターという機関に相談するような事例もある(但し、これだけではなかなか破棄してくれることはないのがつらいところである)。
実務では、第一審判決が間違っている場合の破棄を「一項破棄」、第一審判決は間違っていないけれども、その後に生じた事情を考慮して破棄する場合を「二項破棄」と呼んでいる。実体として、控訴審の多くは、二項破棄を狙うのが本命だったりするものである。
最近の傾向として、控訴審は第一審判決にあまり口出ししなくなっていると言うことがいえる。特に、第一審判決が裁判員裁判の場合、少々、相場から外れた量刑であっても、そのまま維持されることが増えている。これについては、第一審の尊重という意味で好ましいという意見もあれば、控訴審の職責放棄だとして批判的な意見もある。
新井浩文さんの事例
今回の事件で、新井浩文さんは、主位的には、相手方の同意があると誤信していたとして強制性交等罪の故意を争い、また量刑不当を主張しつつ、第一審判決後に被害者と示談が成立したとして、二項破棄を求めていたものである。法律上、二項破棄だけを主張することができないので、何らかの理由を付けて量刑不当もセットで主張することが多い。今回も、おそらく本命は二項破棄だったと思われる。
判決の問題点と社会的影響
さて、東京高裁は、同意の誤信に関する事実誤認の主張、及び量刑不当の主張については退けたものの、第一審判決後に示談が成立したことを踏まえ、二項破棄で改めて懲役4年の実刑判決を言い渡した。
訴訟記録自体に当たっているわけではないので、確定的なことはいえないものの、私は、この判決には疑問を持っている。
本件は、起訴前に示談が成立していれば、おそらく不起訴処分になった可能性が高い。また、第一審の係属中に示談が成立していれば、執行猶予になったのではないかとも思われなくもない。そうすると、示談の成立時期が少し遅れただけで、執行猶予になるか懲役4年の実刑になるかががらりと変わるというのは、なんとも釈然としない。
裁判である以上、タイムリミットがあるのは当然である。しかし、被害者対応を考えた場合、もう少し考えたいなどとして返事が1箇月や2箇月先になると言うことは世上ままある。弁護人としては、早く回答せよなどと催促するわけにもいかないから、懲役5年から4年にしただけでは、新井浩文さんには酷ではないかとも思われるところである。
もうひとつは、この判決の社会的影響である。この判決は、報道だけをみれば、「第一審判決後に300万円を支払って示談したとしても、懲役5年が懲役4年になるくらいの効果しかない」というメッセージを与えかねない。そうすると、どうせそのくらいしか短くならないなら、いっそ示談しなくてよい、として、開き直って示談をしなくなる被告人が増えるのではないかと危惧される。
新井浩文さんのように、俳優として成功し、財産も十分にある人であれば、少しでも刑期が短くなるなら金に糸目をつけないという考え方になるかもしれない。しかし、世間一般は必ずしもそうではない。特に国選事件などでは、数十万円の示談金を集めてくるだけでも、親族に頭を下げて回るなど大変な苦労をしている。国選弁護人を付ける要件が、財産50万円未満を基準としているから当然と言えば当然である。そうした被告人にとってみれば、5年が4年になるくらいの意味しかないなら、金がもったいないので示談はしなくていい、という結論に至ることは十分あり得る話であるし、それは被告人なりに考えて出した結論である限り、非難できるものでもない。
性犯罪の厳罰化が世間では声高に叫ばれているが、何でも厳罰化すればよいというものでもない。言い方は悪いが「飴と鞭」であり、被害者への被害弁償を行うインセンティブを与えるという観点から言うと、本判決は世間に誤ったメッセージを発信する結果になっているのではないかという気がする。もちろん個別の事情があるので、一概には言えない。
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